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はじめて見て、どう読むのか首をかしげる名字があります。全国で数軒ほどしかない名字もあります。そうした名字には、昔の人の言葉遊びや、暮らしの行事、ふるさとの伝説が、そっと残っています。このページでは、そうした名字の読み方といわれをお伝えします。奄美の一字の名字や、沖縄の名字、読まない字がある名字、皇室と名字のことも、短いお話にしました。名字の数や、多い名字、長い名字のことは「日本の名字の話」に、名字の生まれ方は「名字の由来」にまとめています。
読めない名字の中には、字の意味を、なぞなぞのように読ませるものがあります。よく知られているのが、次の二つです。
| 名字 | 読み方 | いわれ |
|---|---|---|
| 小鳥遊 | たかなし | 小鳥がのびのび遊べるのは、小鳥をねらう鷹がいないから。「鷹なし」で「たかなし」と読む、と説明されています。 |
| 月見里 | やまなし | 山のない里は、月がよく見える。「山なし」で「やまなし」と読む、と説明されています。 |
「月見里」の話は、山梨県の資料でも、山梨という地名の由来のひとつとして紹介されています。名字の研究家によると、名字の「月見里」は「つきみさと」と読むこともあり、静岡市清水区の月見里(やまなし)笠森稲荷神社のあたりに、今も多く見られます。この地域にはもともと「山梨」さんが多く、その一部が字を「月見里」に変えたと考えられています。「小鳥遊」は、和歌山県の那智勝浦町に、ごくわずかにある名字だとされます。
ただし、言葉遊びの話だけが答えとは限りません。同じ研究家は、「小鳥遊」は、もとは「高梨」と書いていた家が、分家などのときに字を変えたものだろう、と見ています。江戸時代より前は、分家や、よその土地へ移るときに、名字の字を変えることがよくあったからです。名字の由来は家ごとに違い、ひとつの説に決めることはできません。
日付を書いて、まったく別の読み方をする名字もあります。どれも、昔の暦の上で行われていた、暮らしの行事と結びついています。
| 名字 | 読み方 | いわれ |
|---|---|---|
| 四月一日 | わたぬき | 暖かくなる四月一日ごろ、冬に着ていた綿入れの着物から綿を抜き、衣替えをしたことにちなむ、とされます。 |
| 八月一日 | ほずみ(ほづみ) | 昔の暦の八月一日に、実った稲の穂を摘んで贈る習わしがあり、そこから生まれた、と言われます。 |
| 栗花落 | つゆり・つゆ | 栗の花が散るころが、ちょうど梅雨に入るころにあたります。神戸の山田の里に伝わる伝説と結びついた名字です。 |
「四月一日」と「八月一日」は、名字の研究家が、今もある名字として挙げています。研究家によると、月日だけでできた名字で本当にあるのは、この二つだけだそうです。「四月一日」は、同じ意味で「四月朔日」とも書きます。「八月一日」は、今は各地に点々とあり、とくに関東から東北の南部に多いとされます。
「栗花落」には、心に残る伝説があります。兵庫県立歴史博物館がまとめた話では、昔、山田の里(今の神戸市北区山田町)の男が、都の姫を妻に迎えました。姫は梅雨のころに亡くなり、その墓の前からわき出た泉に、毎年、栗の花が散り落ちるようになりました。そこで男は、姓を「栗花落」と改めた、と伝えられています。この泉は「栗花落の井」と呼ばれ、今も大切に守られています。神戸新聞の記事でも、山田町が発祥とされる名字として紹介されています。
数字が並んでいるのに、数としては読まない名字があります。数字の向こうに、神さまのお祭りや、ふるさとの川が見えてきます。
| 名字 | 読み方 | いわれ |
|---|---|---|
| 七五三 | しめ | 神社などに張る「しめ縄」と結びつく名字だと考えられています。しめ縄は「七五三縄」とも書きます。 |
| 五十嵐 | いがらし | 新潟県を流れる「五十嵐川(いからしがわ)」。その上流の土地を、中世に五十嵐氏という一族が治めていました。 |
しめ縄は、神さまのいる清らかな場所と、ふだんの暮らしの場所とを分けるために張るものです。辞典によると、わらを縒って、その茎を三筋、五筋、七筋と順に垂らし、間に紙の飾りをはさみます。この三・五・七の形から「七五三縄」と書くようになり、名字の「しめ」の読みもそこから来た、という説が、小学館の雑誌の記事で紹介されています。名字の研究家によると、「七五三」は今は関東地方の名字で、とくに利根川の下流域に多いそうです。「七五三木(しめぎ)」「七五三掛(しめかけ)」のように、「七五三」の字を使うほかの名字もあります。
「五十嵐」には、川の物語があります。新潟県の中ほどを流れる五十嵐川は、信濃川に注ぐ川です。地名の辞典によると、川の名は、昔、垂仁天皇の皇子がこの地に来て、田畑のつくり方と、水を治める技を伝えた、という伝えにちなむとされています。川の上流の土地は、中世には五十嵐氏という一族が治めていました。川のそばには、古くからの五十嵐神社もあります。ひとつの名字の向こうに、川と、田畑を開いた人々の長い歴史が流れているのです。
なお、四月一日(わたぬき)や八月一日(ほずみ、ほづみ)も、数字で書く名字のなかまです。数字の名字には、本当にあるか確かめられないものもあります。そのお話は、あとの章でお伝えします。
よく見かける名字でも、字のとおりには読まないものがあります。たとえば「服部(はっとり)」です。
辞典によると、昔の大和の朝廷には、機織りを仕事にする人々の集まりがあり、「はとりべ」と呼ばれていました。「はたおり(機織)」が縮まって「はとり」になった言葉です。その「はとり」が、のちに「はっとり」と読まれるようになりました。字は「服部」のまま、読み方だけが、長い時間をかけて変わっていったのです。
書いてあるのに読まない字を、「黙字(もくじ)」と呼ぶことがあります。出版社の記事では、「服部」の「部」のほかに、「和泉(いずみ)」の「和」、「伊達(だて)」の「伊」が、例として挙げられています。
| 名字 | 読み方 | いわれ |
|---|---|---|
| 服部 | はっとり | 機織りの人々の集まり「はとりべ」から。「部」を読まずに、「服」だけで「はっとり」と読みます。 |
| 和泉 | いずみ | 昔の国の名前「和泉国」と同じ字です。わき出る泉にちなむ地名とされます。「和」は読みません。 |
| 伊達 | だて | 福島県の「伊達郡」の地名から。中世には「いたて」と呼ばれていたと考えられています。 |
「和泉」の「和」には、奈良時代の話がかかわっています。713年、朝廷は、国じゅうの地名に、よい意味の字をあてるよう命じました。のちの決まりでは、地名は二字で書き、よい名前をとるようにと定められました。こうして日本の地名は、漢字二字のものが多くなっていきます。「和泉」も、この決まりのもとで二字で書かれるようになった地名だと言われます。ただし、辞典には、昔「にきいずみ」と呼ばれたとする説明もあり、説はひとつではありません。
「伊達」は、鎌倉時代のはじめ、源頼朝の奥州攻めで手柄を立てた武士が、伊達郡の土地を与えられ、その地名を名乗ったことに始まる、と辞典にあります。地名の辞典によると、この郡は、中世には「いたて」と呼ばれていたと考えられています。それが長い年月のうちに「だて」と呼ばれるようになり、「伊」の字だけが、読まれずに残りました。
読めない名字は、おかしな名字ではありません。言葉が移り変わってきた道のりが、そのまま残っている名字です。
字は同じなのに、家によって読み方が違う名字もあります。よくあるのは、にごるか、にごらないかの違いです。
どちらが正しい、ということはありません。その家が代々呼ばれてきた読み方が、その家の名字の読み方です。はじめてお会いした方のお名前は、「どうお読みしますか」と、ひと言たずねてみると安心です。同じ字で読み方が違う名字を、別の名字として数えるかどうかで、名字の数が大きく変わることは、「日本の名字の話」でお伝えしています。
全国でも数軒ほどしかなく、しかも、ひとつの土地とのつながりがはっきりしている名字があります。
| 名字 | 読み方 | いわれ |
|---|---|---|
| 筒香 | つつごう | 和歌山県の高野山の奥、奈良県との県ざかい近くの地名から生まれた名字です。江戸時代には三つの村に分かれ、今も高野町の地名として残っています。 |
| 躑躅森 | つつじもり・つづもり | 岩手県の名字です。昔、あたり一面につつじの森が広がっていたことにちなむ、と伝えられています。 |
名字の研究家は、「筒香」を、全国で見てもきわめて少ない名字だとしています。「躑躅森」は、全国で約20世帯ほどと伝えられています。
同じ研究家は、ほかにも、「鰻(うなぎ)」は全国で約10軒、「本仮屋(もとかりや)」は約30軒ほど、と紹介しています。
土地の暮らしが、そのまま名字になった町もあります。名字の研究家によると、富山県の旧新湊市(今の射水市)は、江戸時代から商人の多い港町でした。商人たちは「○○屋」という屋号を持っていて、明治のころ、その「屋」を外した形で戸籍に登録したそうです。そのため、この町には「桶」「車」「水門」「風呂」「綿」「米」といった名字が見られます。名字を読むと、昔の港町のにぎわいが目に浮かぶようです。
鹿児島県の奄美の島々には、漢字一字の名字がたくさんあります。そこには、江戸時代の島の歴史が、静かに刻まれています。
1609年、薩摩藩は琉球王国を攻め、それから奄美は薩摩藩の土地になりました。はじめ、薩摩藩は、島の人々には名字はいらない、と考えていたそうです。けれど、名字を許せば島の人の励みになり、藩のためにもなる、と考えを改めました。
そのとき、薩摩藩は一字の名字を選ばせました。奄美大島の大和村の教育委員会が、奄美の歴史の本から紹介している説明では、理由は次のように伝えられています。
藩が示したのは、「芝」「文」「林」「朴」「純」「種」「南」「澤」「栢」「泊」の十の名字でした。1783年(天明3年)12月3日、今の瀬戸内町の島の役人が「芝」の名字を認められたのが、奄美の一字の名字の始まりとされています。ただし、このころ名字を許されたのは、島の人のうち、ほんのひとにぎり(およそ1.8%)でした。
明治になり、1875年(明治8年)に、だれもが名字を名乗るよう定められると、奄美では一字の名字をつける人が多くいました。その後、つらい思いをすることもあって、二字の名字に改めた家、先祖の一字の名字を守り続けた家、両方を合わせた名字にした家に分かれた、と伝えられています。
奄美の一字の名字には、読み方にも味わいがあります。同じ紹介では、次のような名字が挙げられています。
| 名字 | 読み方 |
|---|---|
| 文 | かざり |
| 井 | わかし |
| 赫 | てらし |
| 豊 | しげる |
| 昌 | さかり |
| 祷 | いのり |
| 佐 | たすく |
飾る、照らす、茂る、祈る、助ける。一字の名字の読みには、明るい言葉が並んでいます。昔は、名字を聞けば、どの集落の人かがだいたいわかったそうです。名字そのものが、島の暮らしの地図だったのです。
沖縄には、「比嘉」「金城」「大城」など、沖縄ならではの名字がたくさんあります。琉球新報の記事によると、琉球王国の時代、名字を持っていたのは、主に士族と呼ばれる人々でした。明治になって、だれもが名字を使えるようになると、住んでいる土地の名前や、家の呼び名(屋号)を名字にした人が多かったとされます。沖縄の名字の8割から9割は、県内の地名と同じだ、という説もあるそうです。
そのため、沖縄では、ひとつの集落に同じ名字が集まっていることがよくあります。同じ記事では、大宜味村の塩屋という集落で、4割を超える世帯が「宮城」さんだと紹介されています。同じ名字が多い集落では、屋号をつけて家を呼び分けることもあるそうです。
沖縄の名字によく出てくる「城」の字には、特別な意味があります。沖縄の古い言葉で、石垣で囲まれた城(しろ)や聖なる場所を「ぐすく」と言い、そこに「城」の字があてられました。辞典によると、この「ぐすく」という言葉は、中城(なかぐすく)や玉城(たまぐすく)といった地名や、名字に残っています。
琉球王国の士族の家には、「家譜(かふ)」という家の記録がありました。王府の命令でつくられた、おおやけの記録です。沖縄県立図書館の案内によると、沖縄本島では1689年から家譜づくりが始まりました。ただし、家譜を持っていたのは士族の家だけで、沖縄戦で焼けてしまったものも多く、今まで残っている家譜は多くありません。
名字を持たないご一家があります。皇室です。天皇陛下や皇族の方々には、名字がありません。皇族の方々は、お名前だけでお呼びします。
わたしたちの家族のことは、戸籍に書かれています。皇族の方々の場合は、戸籍にあたるものとして、「皇統譜(こうとうふ)」という帳簿があり、そこに身分や系譜が記されます。2026年9月の報道でも、皇族は名字を持たない、と伝えられています。
昔をたどると、天皇が、氏や姓(かばね)を授けることがありました。源氏や平氏も、皇族の方が皇室を離れるときに授けられた氏です。そうした一族から、たくさんの武士の名字が生まれていきました。このお話は、「名字の由来」でくわしくお伝えしています。
ここまでの名字を見ると、珍しい名字には、いくつかの型があることがわかります。
名字全体が、地名や地形、方角、仕事などから、どのように生まれてきたのかは、「名字の由来」でくわしくお伝えしています。
珍しい名字を集めた本やインターネットには、本当にあるか確かめられていない名字も載っています。
名字の研究家は、「春夏秋冬(ひととせ)」と「東西南北(よもひろ)」について、今もあるとは確かめられない、としています。「六月一日(うりはり)」も、確かめられない名字として挙げられています。「一」を「にのまえ」(二の前だから)と読む名字も、確かめられているのは芸名だけだそうです。なお、「一」を「いち」「かず」「はじめ」と読む名字はあります。
研究家は、こうした名字が載る理由として、名字の辞典が、収める数の多さを競いがちなことを挙げています。おもしろい名字の話を見かけたら、本当にあるのかどうか、少しだけ立ち止まって考えてみてください。
ご自分の名字が、珍しいのかどうか。どこから来たのか。気になったら、身近なところから、少しずつたどってみてください。
インターネットの名字の人数は、電話帳などから見積もった数で、正しく数えた数ではありません。数が少なく出ても、多く出ても、その名字の値打ちは変わりません。戸籍や、お寺の過去帳をたどる方法など、もっとくわしい調べ方は、「名字の由来」でご案内しています。
名字は、ふつう、新しく生まれることがあまりありません。そのため、結婚や、人が亡くなることで、少しずつ減っていく、と指摘されています。もとの人数が少ないほど、その名字は早く見られなくなりやすい、とも言われます。数軒だけの名字は、その家の人が名乗り続けることで、やっと受け継がれていく名字なのです。
一方で、名字の研究家は、名字は減る一方ではない、とも話しています。外国から来て日本の国籍をとった人が、新しい名字を名乗ることもあるからです。
珍しい名字には、その土地の景色や、昔の行事、伝説、仕事が残っています。奄美の一字の名字のように、島の歴史そのものを伝える名字もあります。辞典や本に書かれていない、ふるさとの歴史を、名字そのものが覚えているのです。読めない名字に出会ったら、からかったり、変わっていると言ったりせず、「どんないわれがあるのですか」と、たずねてみてください。そこには、きっと大切な話が眠っています。
姓名判断では、名字の画数を合わせた数を「天格」と呼びます。姓名月は、珍しい名字も、読めない名字も、今の字のまま、見たとおりに数えます。
| 名字 | 読み方 | 姓名月での天格 |
|---|---|---|
| 小鳥遊 | たかなし | 3+11+12=26 |
| 高梨 | たかなし | 10+11=21 |
| 月見里 | やまなし | 4+7+7=18 |
| 山梨 | やまなし | 3+11=14 |
| 和泉 | いずみ | 8+9=17 |
| 泉 | いずみ | 9 |
| 七五三 | しめ | 2+4+3=9 |
| 躑躅森 | つつじもり | 22+20+12=54 |
同じ「たかなし」でも、「小鳥遊」と「高梨」では、天格が違います。同じ「いずみ」でも、「和泉」と「泉」では違います。名字の字が、そのまま家族の数になるのです。戸籍の字と、ふだん書いている字が違う方は、「戸籍と日常の名前」もご覧ください。
「小鳥遊」を「たかなし」と読むのは、なぜですか?
小鳥がのびのび遊べるのは、小鳥をねらう鷹がいないから、という言葉遊びから、と説明されています。もとは「高梨」と同じ流れの名字だった、とする説明もあり、由来をひとつに決めることはできません。
奄美には、なぜ一字の名字が多いのですか?
江戸時代、奄美を治めていた薩摩藩が、島の人に名字を許すとき、一字の名字を選ばせたためだと説明されています。中国や琉球では一字の姓が使われていたこと、二字の名字だと藩の中の名字とまぎらわしいことなどが、理由として挙げられています。
珍しい名字は、なくなってしまうのですか?
名字は新しく生まれることが少なく、結婚や、人が亡くなることで減っていく、と指摘されています。人数が少ない名字ほど、早く見られなくなりやすいと考えられます。一方で、新しい名字が生まれることもあり、減る一方ではない、という名字研究家の見方もあります。
読み方がわからない名字でも、鑑定できますか?
できます。姓名月は、字の画数で見ます。読み方は画数に関係しません。「和泉」の「和」のように、読まない字があっても、書いてある字はそのまま数えます。名字を、ふだん書いている字のまま入れてください。
「春夏秋冬(ひととせ)」という名字は、本当にありますか?
名字の研究家は、今もあることは確かめられない、としています。本やインターネットには、本当にあるか確かめられていない名字が載っていることもあります。
読めない名字も、数軒だけの名字も、どこかの土地で、だれかが大切に名乗り続けてきた名字です。そこには、山のない里に昇る月や、春の衣替え、泉に散る栗の花、神さまのしめ縄、田畑をうるおす川、港町のにぎわいが、静かにしまわれています。南の島には、薩摩藩の時代から守られてきた一字の名字があり、沖縄には、ふるさとの集落の名前を背負った名字があります。
ご自分の名字にも、きっと、まだ知らない話があります。家族に聞いてみたり、ふるさとの地名を調べてみたりすると、名字が少しだけ、いとおしく感じられるかもしれません。
三右衛門の知見と、裏づけの資料